幽囚室は松陰先生が伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗し、安政元年(1854年)3月に謹慎された部屋です。 広さは3畳ほどで松陰はこの部屋で読書と著述に専念していました。 自宅での謹慎生活を命じられた松陰ですが、家族からの薦めもあり、この幽囚室で「孟子」などを講じるようになりました。しだいに多くの者が松陰の講義に参加するようになり、やがて松陰は松下村塾を主宰するようになるのです。
三余読書七生滅賊とは二つの四字熟語からできています。 三余読書とは勉強、読書に好都合で利用すべき3つの余暇、時間がある限り勉強せよということです。 七生滅賊とは七回生まれ変わっても外賊(天皇の敵)を滅ぼすということです。