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史跡の種類
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南門  

観徳門
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 藩校明倫館の遺構で、孔子を祀る(まつる)聖廟(せいびょう)の前門です。形式は木造瓦棒銅板葺き、左右に唐(とう)破風(はふ)に備えた平(ひら)唐門(からもん)で両袖に連子格子の塀を付け、出入口は一間一戸、扉は上部に連子を入れた桟(さん)唐戸(からど)で両開きになっています。建築年代は新明倫館が再建された嘉永2年(1849)になる。

聖賢堂
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 藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。大棟の両端には一文字三星の毛利家紋の棟瓦が載せてあり、当時の面影をとどめている。

  聖賢堂
水練池  

水練池
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 周囲を玄武岩の切石で築いた、東西39.5m、南北15.5mも深さ1.5mの遊泳術、水中騎馬の練習に使われた日本最古のプールです。水練場を設けた藩校は全国でも会津藩の日新館だけといわれ、今は明倫館のこれだけが残っている。

吉田松陰先生講学の跡
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 高さ3.2m、幅1.1mの石碑。松陰先生没後百年記念事業の一つとして、時の県知事小沢太郎に書を依頼し、明倫小学校が建てたものである。

  石碑
石碑  

明倫館碑
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 並んで建つ左側の碑は、元文6年(1741)6代藩主毛利宗広が創建の由来を記して建てたもので、旧明倫館から移したものです。右側は嘉永2年(1849)藩主毛利敬親が新明倫館の開校を記念して建てたものです。

有備館
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 旧明倫館の剣術場を移転して拡張したもので、木造桟瓦葺き平屋建ての南北に長い建物です。藩士の練武のほか、他国からの修行者の試練場ともなり、土佐の坂本龍馬もここで試合をしたといわれています。

  有備館
監督門  

旧萩藩校明倫館南門
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 明倫館の時代にあった南門(正門)が、当時の場所に移築されました。平成17年度に移築工事が終了しました。この門は、当時、祭事の時のみ、藩主が通っていました。卒儀様式では、卒業生がこの門をくぐって巣立っていきます。

明倫小学校本館
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 昭和10年10月10日午前10時に竣工式(しゅんこうしき)が行われました。現在でも当時の校舎を大切に使っています。中でも、事務室、校長室、保健室、音楽室などのある本館は、国の登録有形文化財第1号に指定されています。

  本館
中村  

中村雪樹先生之碑
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 初代校長中村雪樹先生の幸徳を感謝し、大正11年10月に建てられました。

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