
菊屋家の歴史
菊屋家は慶長9年(1604年)
毛利輝元
の萩への入国と同時に山口から萩に移り、
城下の町造りに力を尽くし、
呉服町
に屋敷を受け取りました。 また、
阿古ヶ浜
に藩士や
足軽衆
(歩兵の一種)のための惣固屋と呼ばれる 仮設住宅を建てて住まわせたので、
阿古ヶ浜を菊ヶ浜と言うようになりました。
その後、代々大老に任命され、藩の御用達(宮中・官庁などへ用品を納めることを認可された商人)を勤めました。
屋敷は
御上使
(上意伝達のために派遣した人)の宿泊所として指定された家を命じられ、その他数々のものに任命され、しばしば藩の御用宅として借り上げていました。 従って、先祖代々“我家は私有であって
然様
でなし”とされた、御用屋敷としての誇りが見られます。
常に御用屋敷としての整備に配慮して、屋敷建物を大切に維持してきたことから、
“全国でも最古に属する町家”として重要文化財の指定を受けています。“萩の城下町”として、
萩の顔とも言える美しく静かなたたずまいを見せています。
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