誰とでも分け隔てなく付き合ってきた一誠
一誠×吉田松陰
1857年、24歳のとき一誠の夢であった「松下村塾」に入り、
初めて吉田松陰に出会う。
しかし、松陰から講義を受けたのはたった10日間だった。
けれどその10日間が一誠の生き方を決めたといっても過言ではない。
1858年、25歳のとき再び松下村塾へ行き、松陰は他の塾生と一緒に剣術の練習をさせた。
10月末、江戸幕府大老井伊直弼が幕府に批判的な者を捕える事件が発生。
これに怒った松陰は、井伊を暗殺しようと思い、松下村塾の生徒を中心に参加を呼びかけた。
11月、一誠は松陰から武器や資金の調達を命じられていた。
松陰は冷静さを失っており、松下村塾も閉塾。
12月、松陰が投獄された。 これに驚いた一誠は、仲間と共に松陰を投獄すると言った藩の
要職に携わっている人物の家に押しかけた。
騒動を起こした一誠たちは、自宅謹慎が言い渡された。
投獄される松陰は、わざわざ塾生たちの家の前を通り、
野山獄に投獄された。 投獄される松陰を、一誠たちは複雑な思いで見送ったという。
松陰は10月27日に処刑された。
一誠×久坂玄瑞
一誠のところへ塾生の久坂玄瑞が尋ねてきたとき、
長崎伝習所で学んだことや、長崎の町の様子について詳しく話した。
松陰がいない松下村塾だが、塾生達は何度か集まり、松陰が書いた「講孟余話」を読んでいた。
その中心にいたのが玄瑞だった。
一誠×木戸孝允
幕府を倒そうと攘夷軍に入り、京都で桂小五郎(後の木戸孝允)
と共に、情報収集を行っていた。
年貢半減策と分水計画で政府と一誠が対立し、
同じ塾生だった木戸孝允は
「このまま一誠を長岡(新潟県長岡市)に置いておくと
何をしでかすか分らない」 と言い、一誠に行政をやめさせようと中央政府に呼んだ。
━この関係性から一誠は誠実な思いで吉田松陰と関わったのだと思った━
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